2010年08月26日

借りぐらしの召喚師2

「また、ここに人が住まうようだな、当代」
ゴウトが、もどってくるやいなや、面白くもない口調で彼に告げる。
彼は、屋敷の裏の古井戸でちょうど洗濯をしているところだった。
「丁度よかった、石鹸はこれで最後だったんだ」
「男の一人住まいらしいぞ。洗濯など、外にクリーニングに出すに決まっている」
「汚れさえ落ちれば、体を洗うものでも顔を洗うものでも構わない」
彼は、洗い上げたシャツをしっかり絞ると、横で座っているゴウトを見上げた。
「ゴウト、水を」
「流されないように下がっていろ、ライドウ」
黒猫の言葉に頷くと、彼は井戸の周りを囲う石の縁を、器用によじ登る。
ばしゃぁ。
ゴウトが猫の前足で、じゃれつくような器用な動きで、井戸のポンプに前足をかけた。
井戸の、真下に放置されている小皿のようなものの上で、勢いよく水が飛び跳ねた。
ライドウは、そこから溢れた水が井戸の流し場を全部流れさるのを確認して。それからまた、ポンプの下へと飛び降りた。両手には、それぞれ小さな木のバケツを持っている。
それで小皿から水を掬うと、先ほど洗っていたシャツを浸して、中で濯いだ。もう片方のバケツは飲料水用のそれなので、泡が跳ねないようにあらかじめ、井戸の縁に預けてある。
「情けないものだな、十四代目の葛葉ライドウともあろうものが、井戸端で洗濯とは」
「何か言ったか」
聞こえよがしのゴウトの嫌味もどこ吹く風で、彼は洗いおえた洗濯物をバケツに落とし込むとまた、井戸の縁へとよじ登った。
「そろそろ、昼食にしよう」
「そうだな、当代」
ちょいちょい、と手招かれて、ゴウトがライドウへと頭を垂れる。その後頭部に、助走を二歩ばかりつけたライドウが、勢いよくとびのった。
そして彼は、ゴウトの黒い毛並みの上を跳ねるようにしながら、首の辺りにまたがった。
「いくぞ、ゴウト」
その小さい声に従うように、ゆっくりと黒猫は草むらをかき分けるようにして、動き出した。



大きく揺れるゴウトの背の上で、バランスをうまく取りながら、ライドウは軽く目を閉じる。すると不思議なことに、先ほど、ほんの少しだけ目にしたこの家の住人の姿が、彼の目の裏に浮かんだ。
キャラメルのような、明るい茶色の三つ揃いのスーツはどこかクラシカルで、職業のわからない格好だった。身長は高く、しかし、若木のようにしなやかな体つきをしていた。髪の毛は、少し色を抜いているのか柔らかい焦げ茶で、それがくるくると庭を吹き抜ける風の中で、波打っていた。
その髪は、光が当たるときらきらと透けて、まるで飴色のようだった。
彼が、これからこの家に住むのだ。そう思うと、ライドウの口元に知れず笑みがこぼれる。彼と、これからライドウは同居するようになるのだ。もちろん、彼はそれを知らないのだけれど。
「どうした、ライドウ」
「あの人は、どうしてここに来たんだろうな」
背にいるライドウの様子に気がついたのか、ゴウトが器用に首を巡らせる。その視線を受けて、ライドウは黒猫へと声をかけた。
すると、ゴウトは一瞬考え込んだ後、ああ、と思い出したように口を開いた。
「体を壊したから、療養のためだといっていたぞ」
ゴウトは習慣の見回りの際に、近所の井戸端会議から、いろいろと噂話を仕入れてくる。井戸端会議、といっても主婦の情報網は侮りがたいものがあるのか、ゴウトは見回りのついでに、それに耳を傾けていくのが常だった。
その際に、仕入れたものだろう。
思い出すように小首を傾げながら、猫は思い出しうる限りの情報を、ライドウへと与えてくれた。
不動産屋に、彼は『なるみ』と呼ばれていたこと。体を壊しての養生だが、病気などではなく働きすぎだと『なるみ』がいっていたこと。そして、この屋敷を賃貸ではなく、しかも全額を即金で購入したということ。
「静養ということは日がな一日、やつはこの家にいるということになるな」
厄介だ、というふうに唸るゴウトの頭の毛をなだめるように撫でながら、ライドウは『なるみ』が消えていった屋敷を見上げた。
「『なるみ』さんか」
ぽつりと、彼が呟く。
その視界の端を、ゆっくりと飛行機雲が流れていった。

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2010年08月22日

借りぐらしの召喚師1

本当に、いい買い物をされましたなぁ。
そう言って、目の前でえびす顔になる不動産屋の主に対し、鳴海もふわりと微笑みかける。
「ええ、静養にぴったりのところですね」
内心苦笑いをしながら、彼は目の前の書類に視線をやった。
それは、家屋の売買契約書だ。
東京で駅近、といえば聞こえはいいがもちろん都内ではなく都下で、しかも東京にもこんな緑があったのかと、都民がびっくりするくらい辺鄙なところにその家は建っていた。
駅に近い、といっても肝心の電車は一時間に一本がせいぜいで、無人駅でないのが不思議なくらい小さな駅舎は、まるで堀立小屋のようである。
ようは、ど田舎だ。
そんな田舎の物件を、持て余していたのだろう。不動産屋は、鳴海に対して恩を着せるような物言いをしつつも、代金はかなりの値引きをしてくれた。
彼が小切手などではなく、全額を現金で支払ったからだ。
『それともう一つ』
鳴海は、ほくほく顔で書類をかき集める主の顔を眺めながら、こっそりとつぶやいた。
幽霊屋敷なんて訳あり物件だから、早く手放したかったのだろう。と。



まず、駅が近いこと。そして、適度に田舎であること。そして、東京ないし関東圏内が望ましい。鳴海が不動産屋に希望した条件が、それだった。
まだ、三十になったばかりの男が提示する条件としては少し珍しいかと思ったが、仕事に根を詰めすぎて体を壊したため静養するのだと微笑めば、主はあっさり納得をしたようだった。
そして、主に紹介されたのがこの幽霊屋敷だった。鳴海は不動産屋に屋敷へと案内され、その場で購入を決めた。
即決だ。
というより、鳴海は主には隠していたが、その屋敷を買い付けるために仲介をしている不動産屋を訪れたのだった。
この場を手に入れるために、だ。
その屋敷で人が自殺したことはない。もちろん殺されたこともない。事故も起きてはいないし、目立った事件も起きては居ない。
しかし、出る。
明らかに、人でないものが住んでいるようだ。
そんな噂が、まことしやかに語られる建物を鳴海が選んだのには、もちろん幾つかの理由があった。
まず、駅に近いこと。
これは日中に何かあったとき駅舎まで逃れれば、誰かしらがいる確率が高いからだ。
次に、敷地内への侵入経路が限られること。
この建物は、背を山に預けるような形で建っていて、しかもその山を越えた先は密集した新興住宅街だ。つまり、山を越えるルートでの侵入は難しい。となると、この建物を訪れる為には、ふつうに正面の坂を上ってくることになる。坂は、建物から見下ろせる範囲でうねっているため、誰かが来ればすぐにわかるし、坂道が丁度始まるあたりには、駐在所も建てられている。
そして、最後にここが幽霊屋敷だということだ。
そんな噂があるせいか、あたりの住民も、この屋敷に次に誰が入るのかを噂しているようだった。つまり、この屋敷に住んでいるものに対して、付近の住民が関心を払っているのだ。
それは、普通の人間なら煩わしいと感じる類のものかもしれないが、今の鳴海にとっては有り難いものだった。
常に、付近の住民が幽霊屋敷に関心を寄せている結果、不審者が近寄りがたくなっているのだ。
こういったすべての状況が、今の鳴海には丁度よかったのだ。
しかも、有難いことにぼろ屋でもない。
鳴海は、不動産屋から手渡された鍵を片手に、屋敷の正面に立つ。人の胸くらいまである入り口の扉は、少しさび付いていて、彼が押すとぎいぎい鳴った。
彼は、その扉を何回か前後させて、唇に笑みを浮かべる。これもまた、余人の侵入を警戒する彼にとっては、都合がいいからだ。
鳴海は、ふくらはぎまである雑草を踏み分けるようにして、敷地の中をゆっくりと横切った。都心で過ごしていた彼にとって、むっとするような草のにおいは、ひどく違和感を覚えるものではあったが、けして不快なそれではない。
「ただ、草むしりくらいはしといた方がいいかもな」
彼は独り言をつぶやくと、そのまま小さな建物のほうへと足を向けた。
赤い屋根にすすけたクリーム色の壁。庭が屋敷の正面にあるせいか、ちんまりとしているように見えるが、中はしっかりとした造りになっている。
これからしばらく、ここで暮らすのだ。
鳴海は草の匂いを大きく吸い込んで、ふっと目を閉じた。
風の草をなびかせる音と、木々の枝がしなる音。自然の音が彼の耳を打つ。
さくさく。
「?」
その音に混じって、一瞬毛色の変わった音が聞こえたような気がして、鳴海はあわてて目を開けた。しかし、あたりをくまなく見回してみても、特に変わったことは起きてはいない。もちろん、人影もない。
「神経質になっているのかな」
彼は口元に苦笑いを浮かべると、分厚い木製の扉に古びた鍵をそっと差し込ん
だ。
これからの、生活が始まる音だ。
鳴海はそんなことを考えながら、ゆったりとドアノブに手をかけた。
posted by えのかみ at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 借りぐらし